歴史のまち、草津
(スケッチ)
神社・仏閣めぐり

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K大釣井と地蔵尊
(おおつりいとじぞうそん)

大釣井はいつ頃掘られたものかわからないが、
慶長の頃には、このあたりに住む漁民や町民の
飲料水や用水になっていたのではないかと思われる。
又、草津は歴史に残る大火が宝暦年間から
文化年間の約50年の間に宝暦の
大火(焼失238戸)、作兵衛火事(焼失326戸)、
大公火事(焼失309戸)、勘兵衛火事(焼失
270戸)と起きているが、この大釣井は
その頃の防火用水として大きい力と
なったのではないかと思われる。
大釣井の地蔵さんは火災をなくするために
祀られたといわれ、地蔵さんをお祭りしてから
草津に大火がなくなったと言われている。

 

福満稲荷と地蔵

L正一位福満稲荷とお地蔵さん
(しょういちいなりとおじぞうさん)

旧魚市場北にある二本松の場所に井久田家の屋敷が
あって、ここに福満稲荷が祀られていた。
長州征伐の時、前線指令所として草津港が選ばれ
屋敷の明渡しを命ぜられ疎開。
長州征伐も終わり疎開先から帰り
草津港の角に開店した。
福満稲荷はそのまま二本松の下に祀られていたが
終戦後現在の位置に奉斉したものである。

 霊感あらたかなお稲荷さんであるため、町内にはかなりの
信者がいる。この「お地蔵さん」のルーツは不明だが
古老から伝え聞くところ、宮島にいた相撲取りの
守り本尊とも言われる。
それで宮島さんに縁の深い十七日が祭日である。
この「お地蔵さん」の台石に島ヶ谷、小西川、衛宮錦など
相撲取りに縁の深そうな姓名が彫ってある。

 

 

M住吉神社
(すみよしじんじゃ)

室町時代の初め頃、西応元年
(西暦1288年)に建立されたと
伝えられている。

社神は麦筒男命、中筒男命、
底筒男の三柱である。
この三柱の神は
神功皇后の出兵時の海上の
守護神といわれ、古くから漁民の海上
安全の守り神として崇拝された。

 

N胡子神社(えびすじんじゃ)

文政5年(西暦1822年)に
本固新開が出来たので、
当時の漁師達が話し合いゑびす屋孫八
佐久間三右衛門の自宅にあったものを
現在地に奉斉したものである。

祭神は恵美須神、言代主神の二体の
木彫坐像で、福利をもたらす神として、
古くから商家、
農漁民に信仰されて来た神様で、
俗名「ゑべっさん」として
町民の信仰を集めて来た神社である。

 

O龍宮神社
(りゅうぐうじんじゃ)

社神は海津見神、三筒男命と
いわれ、承応元年(西暦1652年)
に創建されたと伝えられている。
この社殿は古くは八幡神社の山裾に
あったが、新開が造成されるに
したがって、沖の海岸に移転されたと
伝えられている。神社の祭礼には、
舟に祭壇を設け、あさり、はまぐり、のり、
かき等の種子を漁場に撒く
『御種子蒔祭』が行なわれた。
現在は子供相撲が余興として
行なわれている。

 

おわり

 

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